宇部の幕末維新 宇部にゆかりのある人物を紹介します。

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攘夷~禁門の変~第一次幕長戦争

蛤御門

 

嘉永6年(1853)の黒船来航後の幕末期において、長州藩は、尊皇攘夷の先頭に立ち、御所がある京都で活発に行動し、朝廷内でも尊王攘夷派が急伸していたが、文久3年(1863)、薩摩、会津両藩を中心とした公武合体派のクーデター・8月18日の政変(堺町門の政変)により、居場所を失った三条実美ら七卿とともに京を追われた(七卿の都落ち)。

翌年、京都において失地回復の活動をしていた吉田稔麿等の長州藩士が新撰組に襲撃される池田屋事件が起こり、長州藩は、福原、益田、國司三家老らに出兵を命じた。朝廷に藩主の冤罪(えんざい)を願い出るものの入京さえも許されず、入京を強行。会津、桑名を中心とする幕府軍と交戦し禁裏御所に向かうが、激戦地となった蛤御門で薩摩藩が援軍として駆けつけたことで撃退された。これが禁門(蛤御門)の変で、幕府兵6万人に対し長州兵2千人の兵力差もあって、結果的に長州藩は敗北した。

御所を警備する会津、薩摩両藩への発砲が禁裏まで届き、公武合体派の公家に「御所への銃撃」の口実を与え、長州征伐の勅命が出され、第一次幕長戦争の危機に立たされた。越後公、信濃公は、益田右衛門介公とともに長州征伐回避、長州藩存続のため、元治元年11月に自刃され、広島国泰寺において総督徳川慶勝が首実検を行った。